枚方市の地域情報

基本データ
面 積 65.08k㎡
人 口 402,361人(H28.4)
人口増減率 ▲1.1%(対H24比)
住宅持家率 全体のうち、66.2%
うち戸建住宅 75.9%
うち分譲マンション 22.9%

平成25年住宅土地統計調査
平成28年大阪府推計人口など

1.枚方市の全体情報

1)概要

枚方市は、大阪市と京都市のほぼ中間となる大阪府北東端部に位置しています。
枚方市の東側には緑豊かな生駒山地、西側には淀川が流れており、こうした自然豊かな環境に囲まれた街となっており、面積は65.08k㎡です。

鉄道は、枚方市の西部を京阪本線、市の東部をJR片町線(学研都市線)が走っており、大阪都心部へのアクセスにも優れていることから、ベッドタウンの一つでも知られています。バス便は枚方市内をはじめとして、高槻市、茨木市、門真市といった周辺市へも運行されています。この他、空港連絡線や長距離線なども運行しており、交通利便性が良好といえます。
また、枚方市の中心部を国道1号が走り、市の東部には第二京阪道路が開通したことから(※)、さらに利便性が高くなっています。
※平成22年に門真市と京都府の巨椋池インターチェンジを結ぶ第二京阪道路が開通し、京阪国道などの混雑が緩和された。
こうしたことから、枚方市の人口は大阪市、堺市、東大阪市についで大阪府内で4番目に多くなっています。

なお、地域産業の活性化を推進するため、津田サイエンスヒルズへの企業誘致などが進められているが、成果が高いとは言えない状況にあります。

【枚方市の歴史:江戸時代まで】
弥生時代の中頃以降に大規模な集落があったとみられています。
万年寺山古墳では、大和朝廷が地方豪族に味方のあかしとして対して送った青銅鏡が発見されていますが、この古墳が交通の重要な地域に位置することから、当時枚方に存した豪族が相当な権力を有していたと考えられています。
平安時代になると、京の都に近いことから、鷹狩をする場所として天皇や貴族が訪れていたようです(交野が原周辺)。
南北朝時代から戦国時代には、戦いが続いた人々の心身をいやすべく、浄土真宗が広まりましたが、蓮如が建てたと言われる光善寺が残っています(出口2丁目)。この周辺は寺内町として発展します。
その後、豊臣秀吉が諸大名に命じて、淀川左岸に堤防道が築造され(文禄堤)、堤防の上は大坂と京都を結ぶ最短路である大阪街道(京街道)として安定した交通路となりました。
江戸時代になると、京都と大坂の中間に位置することから、参勤交代の大名や宿泊する本陣の他、多くの商店が建ち並び、宿場町として栄えました。

【枚方市の歴史:明治時代以降】
明治時代になると、宿場性が廃止され、以前のような商業性の活気がなくなったものの、北河内地域の中心として、裁判所・警察署・役所といった官公庁がおかれ、新しい街へと進んでいきます。1910年には京阪電鉄本線が開通しました。なお、陸軍の禁野火薬庫が作られたことをはじめとして、枚方は戦前から線中は軍需産業が盛んでした。
大正時代になると、日本メリヤス株式会社と蝶矢シャツ製造所が建設され、近代化を歩んでいきます。 軍需産業が盛んであった枚方も、昭和時代の終戦を迎えると、軍事施設は民間に払い下げられることとなり、住宅団地へと生まれ変わります。

【今日の枚方市】
昭和22年8月1日、大阪府科12番目の市として枚方市が誕生し、近郊農村から住宅地への転換が進み、人口も急増しました。
また、枚方市内には教育施設も多く、「学園都市」としても知られています。

枚方市くずはモールと京阪枚方市駅

(左)樟葉駅「くずはモール」    (右)枚方市駅・南側

2)住宅地

枚方市は、西側の京阪沿線と東側のJR片町線沿線で大きくは東西に2分されます。西側の京阪沿線は駅ごとに細分化され、4つに区分することができるでしょう。

  • 北部エリア
  • 中部エリア
  • 南部エリア
  • 東部エリア

■北部エリア
京阪「樟葉」駅の周辺に広がるエリア。
従来は葦原の湿地が広がり、水はけの悪さから宅地が進みませんでした。しかし、高度経済成長による住宅需要の増加により昭和47年の「くずはローズタウン」として開発され、「くずはモール街(現:くずはモール)」、公園、学校、病院等が計画的に整備され、急速に都市化した地域です。

このエリアの各敷地はゆったりとしており、区画は整然とした優良な住宅地域が形成されています。
特に、楠葉並木をはじめとした「樟葉」駅から東へ延びる道路沿いに存する徒歩圏内のエリアは人気が高くなっています。

「樟葉」駅前の「KUZUHA MALL(くずはモール)」は平成17年全面建て替えされ、その後リニューアルも行い、集客力の高い商業施設となっています。また、「樟葉」駅は特急の停車駅でもあり、利便性が良好であり、活気のある住宅都市として知られています。

■中部エリア
京阪「枚方市」駅の周辺に広がるエリア。
中小規模の住宅地域から形成されています。駅から徒歩圏内の平坦地は需要があります。ただし、村野や星丘といったバス圏内になると需要が劣ります。また、徒歩7~8分程度でも傾斜がある地域もあり、こうした地域は需要が落ちます。

■南部エリア
京阪「香里園」駅の周辺に広がるエリア。
中小規模の住宅地域から形成されていますが、人気があり、一定の需要が見込まれます。
大正時代の終わり頃からは「香里園」駅の東側で本格的に住宅地開発が進められました。また、昭和32年から37年にかけて東部の丘陵地において香里団地が建設され、山の手の高級住宅地として発展してきました。

なお、「香里園」駅は3つの街区に分かれた再開発が行われ、さらなる発展が見込まれています。
※1街区・3街区には、低層部に商業・業務・サービス施設を擁する超高層のタワーマンションを整備し、2街区は、地域医療の核となる病院を整備。

■東部エリア
JR片町線沿線に広がるエリア。 中小規模の住宅地域から形成されています。
JR片町線が開通した当時は、大阪都心部へのアクセスが良好になったことから、京阪沿線の周辺エリアよりも人気が出ると期待されました。ただ、京阪沿線の主要駅も特急が停車することとなり、大阪都心部へのアクセスの優位性が保たれなくなり、人気が京阪沿線と二分されることになりました。

3)商業地

大型商業施設が京阪「樟葉」駅前と「枚方市」駅前の2か所に集積していますが、「樟葉」駅前の方が集客力が高いようです。
その他、鉄道各駅の周辺に近隣住民を対象とした商業店舗が存する他、幹線道路沿いに路線商業店舗が存します

■「樟葉」駅前
「KUZUHA MALL」(くずはモール)
京阪「樟葉」駅前
平成17年の全面建て替え後、リニューアルを行い、京阪百貨店を中心としたショッピングモール。
飲食店や衣料品は関西発出店の店舗の誘致など、子供と若い世代からファミリー、中高年世代まで幅広く対応した商業施設であり、高い集客力を有している。

■「枚方市」駅前
従来、駅の北側と南側に商業施設が分断されていた。
北側には岡町商店街が賑わいを見せていたが、まず北側から開発が進み、次いで南側の開発も進んでいった。平成5年に駅の高架化に伴い、北と南を分断していた線路がなくなった。
商業施設としては、ビオルネ・イオン枚方店、京阪枚方ステーションモール、ひらかたサンプラザ1号 – 3号などがあります。
その後の景気の後退とともに縮小が相次ぎ、平成24年に駅南側の「近鉄百貨店」が閉店。この跡地に地上8階、地下2階建の新たな商業施設の建設が計画中であり、平成28年春の開業を目指している。

4)工業地

戦後、枚方市には複数の工業団地が経済成長を支えました。立地を一か所に集約しなかったため、市内に点在していますが、ある程度のまとまりを有して立地しています。
ただし、経済情勢、産業構造の変化などにより、企業の廃業及び枚方市外への移転に伴い、工業地から住宅地への転化も見られます。

2.お役立ち情報

1)人口の状態

大阪府全体と同様、枚方市の人口は減少傾向にあります(図-1)。ここ数年で、▲1.1%の減少となっています(平成28年/平成24年)。

枚方市の人口の推移

また、年齢別の人口構成割合を見ると、日本全体として高齢化が進んでおり大阪府や枚方市においてもH23年と比べても高齢化率が高くなっています。ただし、枚方市においては、全国や大阪府よりも65歳以上の割合は低いことが分かります(図-2)

枚方市の人口構成割合

2)持家率と賃貸率

住宅の所有の関係を見ると、枚方市における住宅総数のうち、借り家率(約31%)よりも持ち家率(約66%)が高くなっており、持ち家を選択する人が多いと言えます。
なお、持ち家を選択する人の中でも、一戸建派が76%近くを占めており、分譲マンション派(約23%)をリードしている状態であるため、枚方市内で購入を考える人は一戸建てを選ぶ傾向が強いと考えられます。

枚方市の持家率と賃貸率

3)地価公示価格の推移

枚方市の住宅地の価格は、全体的に横ばい傾向からやや上昇傾向にあります。
ただし、徒歩圏外、丘陵地や道路条件の悪い地域は依然として需要が弱く、価格も弱含みで推移しています。

枚方市の住宅地の地価公示価格

枚方市の商業地の価格は、横ばいまたは上昇傾向にあります。

枚方市の商業地の地価公示価格

参考:
平成25年住宅土地統計調査、平成28年総務省住民基本台帳、国土交通省・地価公示など