帝塚山エリア

南海高野線「帝塚山」駅、阪堺電軌上町線「帝塚山三丁目」駅周辺に広がるエリアであり、北側で阿倍野区に隣接しています。
「帝塚山」の地名は、エリアの西部に存する帝塚山古墳に由来しています。
上町台地の西端に位置する帝塚山は、古くは水が引きにくい立地にあるため稲作が行われず、畑作や植木が行われていた地域でした。明治時代に入り、阪堺電気軌道や高野鉄道、大阪馬車鉄道(現在の南海電鉄)が開通した後、耕地整理及び民間不動産会社により住宅地域が形成され、大正時代の末頃に完成しました。

エリアの大半は風致地区に指定され、建蔽率や高さ制限などの規制が定められています。このため、中層のマンションなどが一部で見られるものの、低層の戸建住宅が中心となっているエリアとなっています。邸宅が建ち並ぶ閑静な居住環境と大阪都心部への接近性が人々の人気を呼び、現在においても芦屋市と並ぶ関西の高級住宅地として知られています。

なお、エリアの南部には帝塚山学院(幼稚園・小学校・中学校・高等学校)があり、学生の街でもあります。

大阪市住吉区帝塚山中3丁目と南海帝塚山駅

(左)帝塚山中3丁目   (右)南海「帝塚山」駅の東側

帝塚山西1、帝塚山西2、帝塚山中1、帝塚山中2、帝塚山中3